川端康成(1899-1972)は、『伊豆の踊子』(1926年)、『雪国』(1935-47年)、『山の音』(1949-54年)、『眠れる美女』(1960-61年)などで知られる、日本を代表する作家です。彼は美術にも大変造詣が深く、美術コレクターでもありました。そのコレクションは、油彩画、日本画、工芸などさまざまな分野に及ぶとともに、同時代の作家の作品から縄文時代まで幅広い時代にまたがっています。そして、美術作品について語る彼の言葉は、その神髄に触れるもので、我々の美術理解を助けてくれます。
本展では、従来の川端コレクションの紹介に加え、新たな切り口として、川端康成という作家を通し美術と文学が交錯する様子を紹介します。
「私は美術が好きで、新古にかかはりなく、なるべく見る折りをつくる。しかし、美術については、ほとんど一切書かぬことにしてゐる」(「『伊豆の踊子』の作者」)と言い切った川端ですが、やはり書かずにいられなかったのか、それとも求めに応じて書かれたものなのか、彼の著作には美術について書かれたものが数多く残されています。「好きか、好きでないか、惹かれるか、惹かれないか、よいか、よくないか」(同上)を判断基準とした川端の審美眼が捉えたものは、草間彌生など当時の新人画家から縄文時代の土偶まで広範囲に及びます。本展では、自身のコレクションだった「川端コレクション」に加え、川端が注目した作品を全国各地から集めました。川端のことばを通して作品と向き合ってみてください。彼の美術に対する深い知識と画家たちの生きざまへの共感を見ることができるでしょう。
膨大な量を誇り、いまだその全貌が明らかになっていない川端コレクションの中でも、古賀春江、東山魁夷、高田力蔵の作品が比較的まとまってあるのは、互いに交流があった証でもあります。
古賀は住まいが近所だったことから、東山は1955年の『虹いくたび』の装幀を通して、高田は古賀を介して、川端を知ることとなり、それぞれの友情を深めていきました。
彼らの作品は、それぞれの交流の中で譲られたり購入したりしたもので、今回の展覧会では、当時のエピソードなども交えて紹介します。
こだわり抜かれた川端の本はどれも美しく、川端にとっての「本」は、単に活字を追うだけでなく、手に取り目で楽しむものでもあったのだと実感させられます。本の装幀や挿絵の仕事は、作家と美術家を結びつけ、互いの芸術世界を高め合う役目も果たしたにちがいありません。
安田靫彦、岡鹿之助、小林古径、山本丘人、小磯良平、東山魁夷、杉山寧など、錚々たる画家たちが川端作品の装幀を手がけました。ときに著作の内容を汲み取りながら、またある時は原稿に先駆ける形で、画家たちが創意工夫をこらした装幀の世界をお楽しみください。
川端と九州の結びつきは、あまり強いようには思えないかもしれません。しかし、川端は、生涯で何度か九州を訪ねており、その陰には古賀春江や高田力蔵など九州の画家たちの姿がありました。
一九五二(昭和二七)年十月、川端は大分県知事の招待で大分を訪問、案内役は高田でした。その折り、川端は、福岡県八女市にアトリエを構えていた坂本繁二郎を訪ね、また久留米では、亡き友・古賀春江の墓参を果たしました。この大分での取材をもとに、川端は「千羽鶴」の続編である「波千鳥」を執筆します。
個人 | 団体 | |
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一般 | 1,000円 | 800円 |
シニア(65歳以上) | 700円 | 500円 |
大高生 | 500円 | 400円 |
中学生以下 | 無料 | |
前売り (Pコード768-202/Lコード86081) | 600円 |