‘ピアノの詩人’と呼ばれるポーランド出身の作曲家、フリデリク・ショパン(1810−1849)。その優美繊細なメロディの数々は、私たちに馴染み深いものです。一方で、彼の生きた時代や、その人物像は一体どのようなものだったのでしょうか。今回の展覧会では、遺された自筆譜をはじめとする数々の資料から、混迷する19世紀前半のワルシャワやパリで生き、愛し、音楽の可能性を追求したショパンの実像に迫ります。生前から現在までのショパンの肖像、彼が暮らした都市、周辺の人々、日本でのショパン受容、その名を冠したピアノコンクールなど展示資料の総数は約250点。特に、「エチュード」(作品10−8)などポーランド国外に出ること自体が珍しい楽譜や手紙は必見です。日本とポーランドの国交樹立100周年を記念する展覧会として、日本初公開品を含む貴重な資料や絵画、ポスター、書籍といった多彩な展示から、年月を経てさらに輝きを増すショパンの魅力をお楽しみください。
ショパンってどんな人? 第1章では、彼の音楽からインスピレーションを得た作品や、過去2世紀の様々なショパンの肖像を、ポーランドの国立フリデリク・ショパン研究所附属フリデリク・ショパン博物館の所蔵品によって紹介します。造形化されたショパンのイメージは,実に多彩。ショパンにまつわる音楽コンクールのポスターのほか、明治期に輸入された楽譜など、ヨーロッパだけではなく、日本でもショパンの音楽が愛され、どのように知られていったのかを示す資料も展示します。
1810年にポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで生まれ、まもなく家族とともにワルシャワに移ったショパン。わずか7歳でポロネーズを作曲した音楽的才能は、芸術・文化が盛んなポーランド・ワルシャワで、家族や周囲の人々に見守られながら豊かに育まれました。1830年11月、二十歳のショパンがウィーンに旅立った直後に、ロシアの支配に対する反乱「十一月蜂起」が起こります。その後二度と戻れなかった故国ポーランドの風景や、ショパンの周辺にいた人々など、ワルシャワでの音楽活動や生活を紹介します。
ショパンの才能が大きく華開いたのはロマン主義の時代のパリでした。ピアニスト、そして作曲家として成功したショパンは、リストをはじめとする当時の音楽家たちや、画家のドラクロワ、生活を共にすることになる作家ジョルジュ・サンドほか各界の名士と出会います。《ショパンの肖像》を描いたアリ・シェフェールによる日本初公開の絵画など、当時の様子を伝える絵画・版画からは、19世紀前半の都市パリの文化的背景をうかがうことができます。サロンやオペラ座の様子、交流を持った人々など、まさにショパンが生きた時代のパリの諸相をご覧ください。
ショパン自筆の楽譜や手紙が展示されます。所蔵しているショパン博物館でも公開が限られている、まさにポーランドの至宝であり、間近に鑑賞できる機会は極めて稀といえるでしょう。整然とした筆跡が印象的な手稿譜は必見です。また、ショパンは殆ど文章を残しておらず、親しい人に宛てた手紙は、人間・ショパンの姿を知る重要な手がかりとなっています。彼の身近にいた人たちが描いたショパンの肖像も、この章で展示します。
1927年に創設されたショパン国際ピアノコンクールは、現在開催されているものとしては、最も歴史ある音楽コンクールです。開催は5年に1度で、2020年に行われるコンクールが第18回となります。コンクールの告知ポスターは、毎回、ポーランドを代表するグラフィック・デザイナーが手がけ、多くの注目が集まります。本章では、コンクールの歴史と、現代ポーランド・グラフィックをご覧ください。
個人 | 団体 | |
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一般 | 1,000円 | 800円 |
シニア | 700円 | 500円 |
大学生 | 500円 | 300円 |
高校生以下 | 無料 | 無料 |
前売り (Pコード769-564/Lコード86696) | 600円 |