■第23回受賞作品
『ペチャブル詩人』
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鈴木 志郎康 氏 |
『ペチャブル詩人』 書肆山田 刊 発行:2013年7月
1935年(昭和10年)5月19日、東京・亀戸(江東区)に生まれる。
本名、鈴木康之。1944年8月、小学校3年で、集団疎開。1945年3月10日、東京で戦災を体験。
福島県の疎開先で終戦。翌年2月焼け跡の亀戸に戻る。1952年頃から詩を書き始める。
1961年早稲田大学文学部フランス文学専修卒。1961年から1977年までNHKに16ミリ映画カメラマンとして勤務。
その内、 62年から 67年まで広島転勤。1968年詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』によりH氏賞受賞。
1966年頃から個人映画を作り始める。1971年から1976年まで東京造形大学非常勤講師。
1976年からイメージフォーラム付属映像研究所講師。1982年から1994年まで早稲田大学文学部文芸科非常勤講師。
1990年から多摩美術大学美術学部二部芸術学科教授、1998年から2006年まで造形表現学部映像演劇学科教授。
2002年詩集『胡桃ポインタ』により第32回高見順賞受賞。2006年造形表現学部映像演劇学科客員教授。
2007年退職。2008年詩集『声の生地』により第16回萩原朔太郎賞受賞。
2009年7月8月前橋文学館で「第16回萩原朔太郎賞受賞者展覧会 鈴木志郎康」開催。既婚、二男有り。
著者:詩集(Poetry)
- 『新生都市』(新芸術社、1963)
- 『罐製同棲又は陥穽への逃走』(季節社、1967)
- 『家庭教訓劇怨恨猥雑篇』(思潮社、1971)
- 『やわらかい闇の夢』(青土社、1974)
- 『完全無欠新聞とうふ屋版』(私家版、1975)
- 『見えない隣人』(思潮社、1976)
- 『家族の日溜まり』(詩の世界社、1977)
- 『日々涙滴』(河出書房新社、1977)
- 『家の中の殺意』(思潮社、1979)
- 『わたくしの幽霊』(書肆山田、1980)
- 『生誕の波動─歳序詩稿』(書肆山田、1981)
- 『水分の移動』(思潮社、1981)
- 『融点の探求』(書肆山田、1983)
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- 『二つの旅』(国文社、1983)
- 『身立ち魂立ち』(書肆山田、1984)
- 『姉暴き』(思潮社、1985)
- 『虹飲み老』(書肆山田1987)
- 『少女達の野』(思潮社、1989)
- 『タセン(躱閃)』(書肆山田、1990)
- 『遠い人の声に振り向く』(書肆山田、1992)
- 『石の風』(書肆山田、1996)
- 『胡桃ポインタ』(書肆山田、2001)
- 『声の生地』(書肆山田、2008)
- 『攻勢の姿勢1958-1971』(書肆山田、2009)
- 『ペチャブル詩人』(書肆山田、2013)
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その他の作品:志郎康ホームページ
■受賞のことば
丸山豊記念現代詩賞をわたしの詩集『ペチャブル詩人』が受賞したことを大変光栄に思います。ありがとうございます。
個に徹して行くという考え方で書かれた詩集が広く社会的に活躍された丸山豊という詩人を記念する賞を受けて、わたし
の考え方が社会的に評価されたものと受け止め大変嬉しく思うところです。まあ、「やったあ」という思いですね。
詩集『ペチャブル詩人』に収録した詩は、2006年に多摩美術大学を定年退職した後、脊柱管狭窄症と左右の人工股関節
置換の手術をして、思うように外出できなくなって家に引きこもること多くなり、ある意味で自分に向き合う生活環境で書か
れたものです。「蒟蒻のペチャプルル」という詩があります。家内と夕飯の支度をしていたわたしの手元からコンニャクが
滑って台所のリノリュームの床に落ちたのですね。そのコンニャクの「瞬間のごくごく小さな衝撃と振動」をわたしは自分の
老朽化した筋肉の表現として「ペチャブルル」と捉えたのです。つまりわたしは「ペチャブル詩人」なんだと自覚したわけです。
老朽化した自分の姿をどんな風に見せていくか、というところで幾つかの工夫をしてみたつもりです。あまり沢山の人の詩を
読んでいるわけではありませんが、送られてくる詩集や雑誌に掲載されている詩を読んで、近頃はどうもよく掴めなくなってき
たので、そのことをちょと考えてみると、書かれている詩が言葉だけを追いかけていて、その詩を書いている人の姿が見えな
くなっているように思えたのです。今のところ詩は言葉を書くものなんですね。そこに落とし穴があるというように思うんです。
詩は書かれた言葉に生まれてくるのではなくて、言葉を頭の中に思い浮かべるというところにあるのであって、書かれた詩は
実は詩の抜け殻だと思うのです。言葉を頭の中に思い浮かべたとき、ドキドキして身体が燃えるような気持ちになる、それが
詩ではないか、と思うのです。詩を創る者としてその気持ちを共有したいなと思うのです。そのためには、ちょっと、飛躍した
言い方をすると、言葉を身体に返してやることだ、と言えると思います。生まれた時からずっと付き合ってきたそれぞれの異なる
身体に言葉を返す、ということで、詩を創作する者の姿が見えてくるのではないか、とまあ勝手に考えて実践したのが『ペチャブル
詩人』というわけです。
この詩集は、老いた自分が電車内の向かいの席に座っている若い女性に成り代わろうと空想する作品から始まります。そして
青首大根に意地悪く笑われたり五月の若葉には優しく笑われたりすることを想像するのですが、これは生き物としての自分の
身体を掴まえる道筋なんですね。そして、亡くなった詩を書いていた友人たちに思いを馳せ、更に事故や震災で亡くなった見知ら
ぬ人たちを思い、言葉にならない言葉である叫びに行き着くのです。凄まじい現実を受け止めた時の身体が発する言葉、それが
叫びですね。何事もない静かな誰もいない居間でわざと「キャー」と叫んでみる。この嘘のキャーで身体がぞくっとする。言葉を身体
に返すということのちょっと心を冷やす手荒いやり方でした。この叫びを飲み込むということで、東日本大震災の当日のテレビ中継を
見た時の自分の存在を言葉にすることができたのでした。
身体の奥の方にあって他人には言いたくないことを言おうとするとつい吃ってしまいますね。その吃音という身体に引っ掛かった言葉
の出し方によって詩人としての意識をぶちまけることで自分の姿を露わにしようとした作品が「わたしは詩人です」と「『現代詩手帖現
代詩年鑑2013』を手にして」なんです。自分自身の経歴やら感情やらのもろもろを詩で語るなんて今までに考えたこともありませんで
した。詩は思いや感情を語ったりまたは現実に起こったことや虚構の世界を語ったりするものだと思っていたからです。詩で自分自身
をまるごと語るなんて破廉恥なことと思っていたのです。ところが、ここに来て、この年齢のこの生活で、ある意味で世間が遠退くのを
感じて、抽象的な存在である詩の作者、つまり詩人である自分を投げ飛ばすように詩によって語ってしまいたくなったのです。語りたく
ない気持ちをはね除けようとするところで吃音になったわけです。まあ、書いてしまってもやはり自分を掴み損ねているのが分かりました。
つまり詩の書き手が無傷のまま残っているのです。言葉を使うって本当に厄介ですね。
詩集『ペチャブル詩人』は、素晴らしい比喩や綺麗なイメージを追い求める詩集と比べれば「ねじれた詩集」なんですね。審査された方々は
その「ねじれ」を評価して下さったと思い感謝します。今後わたしは自分がねじれ詩を書き続ける確信はありませんが、当分はねじれ詩を
書き続けたいと思っていますし、今のところその道しか見えていないのです。
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